「『フットボール天国』なのに、サッカーの記事があんまりないよね」
某先輩がイタイ一言を放ちました。すいません。仰るとおりです。
ということで、久々に書きます(調べます)。先輩の要望で、現日本代表監督イビチャ・オシムについて。
いきなりですが、オシムの身長ってどれぐらいかご存知でしょうか??
・・・実は191cmもあるらしいです。テレビ越しじゃ分かりにくいですよね?私もこれを知ったときビビリました。
オシムは1941年生まれ、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ出身。ただ、ボスニアは(旧)ユーゴスラビアの一部であったため(この辺よく分かりませんが)、選手時代はユーゴスラビア代表としてプレーしました。ポジションはFW。
1959年に地元のクラブのゼレツニツァールでプロキャリアをスタートさせ、その後はフランスのクラブを渡り歩き、1978年に現役を引退。そんなオシムですが、実は日本でそのプレーを披露したことがあります。
それは、1964年の東京オリンピックでのこと。ユーゴは日本と対戦し、6-1という容赦ないスコアで日本を葬り去ってくれてます。このとき、オシムは2点決めてます。
また、当時のユーゴは結構すごい成績を残しており、1960年のローマオリンピックでは優勝、1962年のワールドカップではベスト4、1960年・1968年の欧州選手権ではいずれも準優勝など、おそらくこの辺がユーゴの黄金時代と言えるんじゃないでしょうか。「政治情勢がもっと落ち着いていれば―」と言いたくなるほど、選手個々の能力は秀でていたと私は思います(今でも十分高いですが)。
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オシムは監督としての実績の方が有名です。そしてそれは、現役引退後すぐに始まります。古巣ゼレツニツァールのユースチーム・トップチームの監督を経て、1986年にユーゴスラビア代表監督に就任。
ただ・・・
当時のユーゴは、すでに国家そのものが崩壊寸前の状態でした。1980年に大統領のチトーが死去すると、ユーゴを形成する各共和国の“反乱”が始まり、各共和国は自国の選手のユーゴ代表入りを阻止しようと圧力をかけたり、その割には他の共和国出身の選手がユーゴ代表としてプレーすると、メディアはこぞって「なぜあいつを使うのか?それよりも自分たちの共和国の選手の方が素晴らしい」などとムチャクチャなことを書き立てて選手やオシムを批判したりと、もはや代表チームの編成どころではありませんでした。
しかし、それでもオシムは負けません。強い子です。1990年のイタリアワールドカップに見事出場させると、準々決勝まで勝ち上がります。そこで待っていたのは前回覇者のアルゼンチン。マラドーナですよマラドーナ。
そのアルゼンチン相手に、1人退場という厳しい状況ながらスコアレスドローでPK戦までもつれ込みましたが、結果は惜しくも敗退。そしてこれが、ユーゴ代表最期の輝きでした。
ワールドカップ敗退後、1992年の欧州選手権スウェーデン大会(EURO92)に向けて再び始動したユーゴでしたが・・・
ここからはWikiの詳しい解説(ここまでもかなり参考にしてますがw)。
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こうした状況の中で、ユーゴスラビア代表の運命を決定付ける事件が1992年4月6日に起こる。ユーゴスラビア連邦軍がサラエボを包囲したのである。この事件は2つの意味でユーゴスラビア代表の運命を大きく揺さぶった。
1.サラエボは監督のイビチャ・オシムの生まれ故郷だった。この問題はオシムがユーゴ代表監督を辞任する5月22日まで、ユーゴサッカー協会の大きな問題点の一つとなった。オシム自身も、自らの故郷を砲撃している国の監督(彼はパルチザン・ベオグラードの監督も兼務していたが、皮肉にもここは元々ユーゴスラビア人民軍のクラブだった)を務めているというジレンマと戦い続けなけなかれならなくなった。
2.ユーゴスラビア人民軍が50万以上もの民間人(その中にはオシムの妻と娘もいた)を内包したままのサラエボを包囲し、市民多数を襲撃した事によっ
てユーゴスラビア、特にその中心を占めるセルビアの悪玉論が国際世論の中で主流を占めるようになったことである。このことはユーゴスラビア代表を国際試合
の舞台から引き摺り下ろすことになった。
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こんな状況でユーゴの代表監督を続けるなんて、いくらオシムが強い子でも無理ですよね。ドラえもんだって無理です。
迎えた1992年5月22日、オシムはついにユーゴ代表監督を辞任。このとき「サラエボのために唯一自分が出来る事」と辞任理由を話している様子は、テレビ(オシムジャパン特集か何か)でも何度か見かけました。
それから6日後の5月28日、ストックホルムの空港に到着した選手たちにUEFA(欧州サッカー連盟)とFIFA(国際サッカー連盟)から通達が告げられました。
「すべての国際試合からユーゴスラビアを締め出す。ユーゴスラビア代表はEURO92への出場資格がないので、直ちにスウェーデンから出国すること。これは強制措置である」
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1992-93シーズンにギリシャのパナシナイコスの監督として指揮を執ったあと、今度はオーストリアのクラブ、グラーツの監督として就任。リーグ下位の弱小クラブだったグラーツを瞬く間に優勝候補へとのし上げました。
そして2003年、オシムは日本のジェフ市原(現ジェフ千葉だっけ?)の監督に就任。ここでもクラブを瞬く間に強豪チームへと変貌させると、2006年7月21日、その手腕が認められ日本代表監督に就任。ジーコジャパンからオシムジャパンへのバトンタッチは記憶に新しいことでしょう。
・・・以上、書いてみると結構長くなったなあ( ̄Д ̄;)ゝ
オシムさん、波瀾万丈すぎます。
P.S. 個人的にいちばん「うわあー」て思うのは、EURO1992のこと。出場権を剥奪されたユーゴの代わりに出場したのはデンマークだったんですが(一部の選手はバカンス中だったそうです(笑))、なんとそのデンマークが優勝したんです。下馬評は芳しいものではなかったのですが、GKシュマイケルや司令塔ブライアン・ラウドルップの活躍もあり、決勝ではなんとドイツに2-0の完封勝ち。
ちなみにこのシュマイケル、90年代の世界最高のGKのひとりです。いつのものかは忘れましたが、チャンピオンズリーグの試合で、ジダンのカーブのかかった完璧なシュートを左手1本ではじき出した場面は私の脳裏に焼きついてます。
シュマイケル。
追記
3月はたぶん暇なんで、サッカー記事の要望あれば調べてでも書きます(´ー`)ノ
ただ、Jリーグとか日本国内のはカンベンしてください(笑)
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